タロとジロ奇跡の生還理由とは?第三の犬リキの行動に感動!

映画「南極物語」の主人公にもなった樺太犬のタロとジロが世界の何だコレ!?ミステリーで紹介されます。

南極観測隊が悪天候のため、結果としてやむなく置き去りにしたカラフト犬15頭の中で、1年後に奇跡的にタロとジロだけが生還!

 

置き去りにされた子供の犬タロとジロだけが、食べ物が殆どない極寒の南極で生き残った理由には隠された感動のストーリーがありました。

幼い二頭が生き延びることができた理由には、第三の犬(リキ)の存在が・・・!

 

食料が殆ど無いなか、極限の状態になった樺太犬は究極の選択をとったのでしょうか?

生き方、命の大切さ、家族や仲間の存在について改めて考えさせられる感動のストーリーです。

目次

タロとジロを含む15頭が置き去りにされた理由

南極観測隊について

1955年の国際地球観測年に、太陽の磁気の影響(オーロラなどの研究)について調べるため日本も南極観測参加をすることになります。

その当時は、日本は終戦したばかりの敗戦国という状況。他の国からも南極観測については否定的な意見がありましたが最終的には参加を認められます。

ただし、このとき、日本に許可された地域は事前に行われたアメリカの調査で接岸不能とされた南極のプリンス・ハラルド海岸でした。

そして、

1956年南極地域観測予備隊として永田武隊長率いる総勢53名の隊員が出発。これが、後の第一次南極観測隊です。

それ以降、60名近くの隊員の中から40名近くが越冬隊員を兼ねるようになります。

越冬しない隊員のことを「夏隊」と言い、越冬する隊員のことは「冬隊」と呼ばれています。

 

昭和基地が設立

1957年1月29日に南極観測船「宗谷」が永田武隊長率いる53名とともに東オングル島に上陸。昭和基地と命名されます。

実際に建設が始まったのは、2月1日から始まり南極大陸から離岸する2月15日には発電棟を含む4棟が完成していました。

しかし、全員が南極大陸から離岸したわけではなく、越冬隊として西堀栄三郎副隊長兼越冬隊長を含む11名が残りました。

南極大陸での輸送に活躍したのが、樺太犬による犬ぞりです。

 

犬ぞりが採用された理由

そもそも、なんで犬ぞりが採用されたんでしょう?

当時、開催された南極特別委員会では移動や移送をどうするか議論が起きます。

説明にあたったのは、西堀栄三郎(京都大学山岳部出身)です。

 

既に、委員会では雪上車を導入することが決まっていましたが、西堀は犬ぞりを提案します!

 

雪上車だけではだめ!犬ぞりの必要性を訴えます!

すると、委員会の他のメンバーからは笑いが巻き起こります。

 

まさに、犬ぞりを馬鹿にしたような反応!

雪上車と犬ぞりでは、雪上車が優れているという判断でした。

 

ところが、

その常識を覆す説明を聞くと委員会のメンバーの表情は一変します。

説明によると・・

 

雪上車の故障が度々報告されていることや、横転などの事故も発生している点。

さらには、実際、ノルウエー(アムンゼン隊)とイギリス(スコット隊)のどちらが先に南極点に到達するか争われた際、大方の予想を覆し、圧倒的な差でアムンゼン隊が勝ちました

この勝利の要因になったのが犬ぞりの存在でした。

アムンゼン隊は、犬ぞりを活用しましたが、スコット隊は馬や電動式のソリにこだわり、犬ぞりを使いませんでした。

 

とうとう、犬ぞりの採用が決定!

西堀に、犬ぞりに関する準備等がすべて委ねられました。

樺太犬が採用

極寒の地でも十分に耐えられる犬を探して、たどり着いたのが樺太犬でした。

 

ほぼ北海道にしかいない樺太犬の危機管理能力は高いものがありました。

危険な場所を事前に察知する能力が優れている樺太犬の知的レベルも高く、ソリを操作する人の能力を樺太犬が推し量り、犬から見限られてしまう恐れえあります。

 

ただ、通常個別に行動する樺太犬を集団で行動するような犬ぞりにする訓練は、大変なものでした。

 

誇り高き犬と言われる樺太犬は、一度忠誠を尽くすべき相手だと認識すれば生死をかけてでも忠誠を守り抜く覚悟ができた犬です!

逆に、信頼されなかった場合は、指示しても従うことはありません。

 

樺太犬の特徴

北海道大学の犬飼哲夫教授によると・・

・人間に極めて従順

・協同性が強い

・帰家性 や方向感覚が鋭敏

 

タロとジロが加わる

選ばれた樺太犬が、犬ぞりのトレーニングを受け、2つの犬のグループ(A班とB班)が誕生します。

 稚内市の魚市場で見つけられたタロ、ジロ、サブロの三頭の子犬(生後3ヶ月)が仲間に加えられます。

将来を考えての子犬の投入でした。

しかし、最終的には育ったタロとジロも選抜された犬ぞりのグループに追加されます!

タロは、A班で、ジロはB班で走ることが決まります。

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樺太犬が繋がれたまま残された理由!

疑問に思っていたことに、樺太犬を固定したままにしていたことがあります。

なぜ、首輪をつないだまま固定していたのか?

自由にさせておけばもっと助かったのでは?

 

でも、それには樺太犬ならではの理由がありました。

 

屈強で誇り高い樺太犬は、見知らぬ人が近づいた場合は、樺太犬が危険な行動にでることも十分考えられました。

また、自由にさせると基地から出てしまい、いくら寒さに強い樺太犬であっても到底生存することは困難となります。

さらに、普段から首輪抜けが上手い樺太犬なので、いつもより一つきつく首輪を締めたとのことです。

 

次に来る、二次隊員の安全性と樺太犬自身の安全性の二点から基地から出ないように首輪をしっかりと締めて残しました。

二次隊員は、すぐに到着する予定でしたが・・・

結果として、置き去りにすることになろうとは、誰も思っていませんでした!

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天候悪化で運命が変わる?!

一次隊員から二次隊員へ交代する際に天候が悪化

援助してくれていたバートンアイランド号艦長からの勧告もありました。

 

要するに、早く脱出しないと宗谷を含め両船とも氷に閉じ込められて身動きが取れなくなってしまうとのことです。

提案としては、昭和基地に残っている二次越冬隊の3名を収容して離脱する必要があるとの勧告です。

 

このことは、すなわち昭和基地から人が居なくなるということであり、昭和基地と船の間は緊急のヘリコプターでの輸送となります。

それも、一刻を争うことであり、貴重な燃料を無駄にしないことや一回で運べる重量も決まっていることから、実質、樺太犬全部を収容することは不可能でした。

一頭で、50キロを超えると言われる樺太犬を15頭全部運ぶことは、不可能でした・・。

 

当初、予定になかった緊急事態が生じたことで、一時的に首輪をしている樺太犬の安否が心配され、せめて首輪をとることを考えますが・・・。

混乱する状況の中、昭和基地に残っている二次越冬隊の3名を収容する際に樺太犬収容の指示は出されていませんでした。

 

・・結果、そのまま残されることになります。

 

ただ、母親の犬シロ子と子犬いついては、
ヘリコプターの燃料を一部捨てて重量を確保して輸送することに!

第二次越冬が中止に!

天候が回復することはありませんでした。

結局、

第二次越冬の断念と昭和基地の放棄に関する最終命令が下ります!

1958年(昭和33年)第二次越冬計画は中止、宗谷は全体員を載せて帰国することに!

その時、南極大陸には15頭の樺太犬が置き去りにされた状態でした!

 

帰国した隊員は、当時、日本国民からの大バッシングを受けます。

第二次南極観測隊について

1959年1月には、北村さんは昭和基地に残してきた樺太犬の弔いの意味もあり、再び南極大陸へ!

樺太犬を手厚く葬りたい思いでいっぱいだったと言われています。

第三次観測隊には、樺太犬を見守る会や愛犬家などからによって一体の阿弥陀如来像が運び込まれていました。

阿弥陀如来像の内部には、稚内の樺太犬訓練所の土と北海道大学付属博物館周辺の土が詰められていました。

 

二頭の樺太犬を発見!

信じられないことに、丸々と太った二頭の樺太犬が元気にヘリコプターから確認できました!

映画南極物語にもある有名なシーンをを思い出す人も多いと思います!

ヘリコプターから降り立って、樺太犬を確認すると、残してきた15頭のどれかが分からないほどの体格の樺太犬がそこにはいました。

 

15頭の名前を次々に呼んでいくが、返事はありません・・

もしやと思って、最後に残った二頭の名前・・タロとジロの名前を呼ぶと反応があります!

 

名前を呼ぶと、それまで警戒していた二頭の樺太犬の態度が変わります。

しっぽを大きく振って喜んでいるようです・・!

 

タロとジロは、何を食べていた?

基地には、係留された樺太犬のために数日分の食料の他に、一ヶ月分に相当する食料(干鱈など)が開封した状態で置かれていました。

ただ、この食料に関しては、全くの手つかずの状態!

干鱈一匹すら食べていませんでした!!

 

共食いしたのか?

発見された樺太犬は、どれもキレイな状態でした。

共食いの形跡は、全く見られません!!

 

ペンギンを食べたのか?

第一次越冬隊の際に、タロとジロがペンギンを襲うことが時々ありましたが、食べることはありませんでした。

また、近くで発見されたペンギンには食べられた跡はありまんせんでした。

 

アザラシの糞を食べた?

第一次越冬中にアザラシの糞を食べるのが見かけられていましたが、氷の中に落ちる危険性があるため、それよりは基地に残された食料を食べるだろうということに!

この説も否定されました!

 

放置された肉がタロとジロの食料?!

基地からやや離れた場所に作られた天然の冷凍庫には、肉類が大量に保管されていました。

これは、何らかのトラブルで人が基地の外に保管しておいた食料でしたが、人には運悪く海水が侵入したため放置することになっていました。

実は、この肉こそがタロとジロの食料になっていたと考えられます。

 

この食料庫の場所まで案内できたのは、しっかりしたリーダー犬であることが考えられました。

その第三の犬が、食料を発見して幼いタロとジロを助けて生きたということです!

 

第二の食料基地デポとは?

犬ソリで移動する際に、不測の事態が発生して食料の一部を下ろして置くことをデポと言います。

あちこちに食料があれば、問題が発生した際に、役立つため登山などでは行われている方法ですが、南極でも同じようなデポが作られていました。

その食料を食べた可能性が高いということです。缶詰なども中身だけ取り出して、デポにおいて保存していたため、場所さえ分かれば十分に食料として役立つ可能性があります。

 

第三の食糧基地はクジラの肉

クジラの残骸が、第三の食料として考えられています。

南極ならではですが、極寒の地で腐敗しないクジラの肉はとてつもないごちそうだったと考えられます。

 

第三の犬が重要な役割を果たす!

これらの食料基地は、昭和基地から100キロ以上離れた場所にあります。

経験の少ないタロとジロでは、到達することが困難(不可能)な場所です。

しかし、第三の犬がその場所まで誘導してくれたら話は別です!

 

残り13頭は、どこに?

雪と氷を掘って次々と発見される樺太犬たち・・!

ゴロ、モク、ポチ、クマ、ペス、クロ、アカの7頭が雪と氷の下から発見されます。

亡くなった原因は、餓死でした。

 

そして、いっしょに葬ることに!

北村さんは、この7頭が離ればなれにならないようにくっつけて葬(水葬)ることにしました。

あと残りの6頭は、見つからないままでしたが・・。

 

実は、1968年に昭和基地で一頭の樺太犬が発見されました。

温暖化の影響で雪が溶けた際に見つかったのです。

それが、残り6頭のうちの一頭で、今回、第三の犬として取り上げられているリキでした!

 

発見されてから14年後に分かる!

なぜ、14年も前に報告されなかったかについては、苦しい理由がありました。

同時期に第四次越冬時に遭難した隊員の遺体が発見されたことが重なったためです。

・・発見された犬には、外傷もなく綺麗な状態でした。

 

過去にあった樺太犬置き去り

1912年日本陸軍の白瀬矗率いる南極探検隊が、南極から撤退する際に21頭の樺太犬を置き去りにする出来事がありました。

この事実を知る愛犬家たちからは、「樺太犬を見守る会」ができており、犬たちを必ず南極から連れて帰るようにする数多くの嘆願がありました。

同じことを二度と繰り返してほしくない!

そんな思いが強く、南極へ連れて行くことに対して反対運動が起こっていました。

 

第三の犬リキとタロ・ジロとの関係とは?

リキは、樺太犬で構成された犬ぞりの先頭をはしる絶対リーダーでした。

鋭い感性とリーダーシップで、リキと他の樺太犬との間には順位の差がはっきりしていました。

 

そんな、リキですが、ある時タロとジロが食べている餌を他の犬が奪おうとしたときに悠然と立ちふさがって他の犬を威嚇して追い払いました。

 

リキは、本能からか幼いタロとジロの父親代わりのような存在となっていました。

まだ、幼いタロとジロをかばっての行動でしたが、後々この行動の意味が見えてきます。

第三の犬の犬の正体

これまでの記憶で浮かび上がってきたことから

 

白っぽい犬であることは分かっています。

さらに、食料の場所が分かっており、リーダーシップを発揮でき、知恵と洞察力に優れた樺太犬といえば・・

そんな樺太犬は、リキ以外いませでした!

なぜ、タロとジロを助けたのか?

第三の犬は、タロとジロを助けましたが、それには理由がありました!

老齢になってきているリキは、若いタロとジロの力が必要であると考えたようです。

タロとジロにしても、リキの知恵と洞察力は必要でした。

 

お互いWin-Winの関係で結ばれていたと考えられます。

 

発見されたときには、タロとジロの2頭でしたがリキは、老齢の為亡くなっと考えられます。

そして、その傍らにいるタロとジロは、リキを見つめながら顔や足を懸命に舐めていました!

こんな光景が目に浮かんでいました!

 

最後に・・

樺太犬の話ですが、まるで訓練された特殊部隊のスーパーヒーローが出てくるような映画を想像してしまうほどの内容だと思います。

また、思いやり・愛情、勇気、リーダーシップについても考えさせられる出来事・・。

想像を絶する世界での出来事ですが・・。

意外と身近な場面にも、似たような事はあるのかもしれません。

参考図書

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