植村直己の経歴と奥さん!学歴の出身高校や大学もチェック!

世界的冒険家植村直己さんについて
先人たちの底力「知恵泉」で
とりあげられます。

副題は「徹底的に不安がれ!」と
なっていますが・・

今となっては
植村直己さん自身も自分の運命を
予見していたかのような言葉
となっています。

目次

植村直己のプロフィール(経歴)

本名・・植村直己(うえむら なおみ)
戸籍上は、「直

両親は、巳年生まれなので「直巳」と
して町役場に提出するが、戸籍担当の
職員の間違いで「直已」となります。

ところが、大学時代に「己」おのれ
の字がカッコイイということで、
「直己」と名乗るようになられます。

昔は、このようなミスが日常的(失礼!)
にありました。
90歳代の人に話しを聴くと
意外とあります(^_^;)~

生年月日・・1941年2月12日
7人兄弟の末っ子として生まれる。

1984年2月13日(43歳)
マッキンリー山中にて行方不明に!
現在もなお、発見されていません。

出身地・・兵庫県城崎郡日高町(現豊岡市)

職業・・登山家、冒険家

学歴

兵庫県立豊岡高等学校卒業

1960年
・・明治大学農学部農産製造学科に入学

1964年3月
・・明治大学農学部農産製造学科卒業

卒業後に、就職試験に落ちたことを
きっかけに、ヨーロッパアルプスの
氷河を見ようと考えます。

とび職のアルバイトを行って、
資金をためてから出発~
現地で不法就労で捕まったりする
アクシデントなども経験されます~!

ここが、冒険家:植村直己の冒険の
始まりのようですね。

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感動するエピソードと性格(人間性)

1970年5月11日に日本人初となる
エベレスト登頂を果たそうという
時にそれは、起こります!

頂上まであと10m程のところで
突然、植村直己さんが立ち止まります!

その理由は・・

先輩だから
先に登ってください!

植村直己さんは、同行した
松浦輝男さん(植村直己の先輩)に
向かってそう言います!

カメラは、
私が写します!

これは、どういうことを
意味するか、お分かりだと
思いますが、

日本人で最初にエベレストに
登頂した人(記録に残る)を
先輩に譲るという
ことです!

植村直己さんにとっては、
日本人初登頂ということより
先輩のほうが大事だと言うことです!

・・・すると・・・

先輩の松浦輝男さんの行動も
植村直己さんの言葉を受けて
感動する方法をとります!

二人で肩を組んで
一緒に登頂されます!

今のこの競争社会では、
思っていても、なかなか
実行できる人は少ないかも
しれませんね!

そして、

登頂してからも
下で待っている隊員たちの
ために
植村直己さんは、頂上の石を
リュックにいっぱいつめて
持って帰ります!

人を思いやる気持ちが人一倍
強い方が植村直己という人です!

ホントに、相手を思いやる
無欲の方です!

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経歴

(植村直己さんの生まれた家です。)

7人兄弟の末っ子として生まれる。

(植村直己さんの家族の写真)

高校時代は、池の鯉を焼いて食べたり
するやんちゃな一面も!

高校卒業後は1年間会社に勤務して
から明治大学へ進学します。

職業が冒険家というだけあって
スゴイ登山経歴の持ち主です!

1965年4月23日
・・ゴジュンバ・カン登頂

1966年7月25日
・・モンブラン単独登頂

1966年10月24日
・・キリマンジャロ単独登頂

1968年2月5日
・・アコンカグア単独登頂

1968年4月20日~6月20日
・・アマゾン6,000kmの単独筏(いかだ)下り

1970年5月11日
・・エベレスト登頂
(日本人初登頂。松浦輝男が同伴)

1970年8月26日
・・マッキンリー単独初登頂
(五大陸最高峰登頂に成功:世界初)

1971年1月1日
・・冬季グランド・ジョラス北壁完登

1973年2月4日~4月30日
・・グリーンランド3,000kmを犬ゾリで単独行

1974年12月29日~1976年5月8日
・・北極圏12,000kmを犬ゾリで単独行

1978年4月29日
・・犬ゾリ単独行で北極点到達(世界初)

1978年8月22日
・・犬ゾリ単独行でグリーンランド縦断

1982年8月13日
・・冬期アコンカグア第二登達成

1984年2月12日
(植村直己さんの誕生日に登頂)

・・マッキンリー冬期単独登頂(世界初)

1984年2月13日
・・下山の途中マッキンリーからの
最後の交信があるが

その後、行方不明となる。

抜粋しただけでもこれだけの経歴です!

植村直己の家族

両親

父親・・植村 藤治郎

母親・・植村 梅

奥さん

植村公子さん

植村直己さんが消足を断ってからの
インタビューでは、

「好きなだけ
好きなことをやれて

最高に幸せだったと
思います!」

このように気丈に話されていました。

いつかは、こんな日もあると
覚悟を決められて、それでも
植村直己という人物を応援した
最大のファンだったのかもしれません。

一緒にいたかったけど、
冒険をしている植村直己さんが
大好きだったんでしょうね~。

また・・

夫は、
「必ず生きて帰る事が
本当の冒険だ」と

いつも偉そうに言ってたくせに・・・

ちょっとだらしないんじゃないの?

と言ってやりたい気持ちです。

このようにも、インタビューに
応えられています。

最後の日記

誰からも、愛される人だった
植村直己さんの最後の日記には

「何が何でもマッキンリー、登るぞ」

このように書かれてあったとのことです。

この言葉は、自然を相手にする冒険家が
それも、百戦錬磨の植村直己さんが
口にする言葉ではないと、アルピニストの
野口健さんはコメントされています。

まるで素人の言葉であると・・・

なぜ、植村直己さんがこのような
コメントを書かれていたかは
今となっては、分かりませんが・・

人を思う植村直己さんのことですから
その思いが、冒険家としての鉄則をも
曇らせたのかもしれません。

まだ、マッキンリーのどこかで
眠る植村直己さん!

その魂は、
新しい冒険家達を見守って
おられるように思います!

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